2009年7月13日月曜日

◆石川太郎日記◆


 「死ななければ出来ないこと」━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
こんにちは、石川太郎です。 今回のテーマは「死ななければ出来ないこと」です。 
普通は死んでしまったら何もできないと考えますが、死んでこそできることがあることに気がついたので、今回はそのことを書きます。  
先日、祖父の33回忌の法要を行いました。久しぶりに親戚中が集まって、昔話を聞いたのですが、祖父は私が中学1年の夏に亡くなりました。
当時私が通っていた中学校では毎年マラソン大会といって、10キロ弱のレースを行っていました。
私はスキー部にいたのですが、夏場はやることがないので、
毎日ランニングと筋トレと柔軟体操でした。1年生の時は優勝しました。
そして翌年、2年生の時のレースでした。
スタートをして距離が進むにつれてトップ集団の人数は徐々に少なくなり、
最後数百メートルのところでは、トップは2人となっていました。
ゴールまで、あと三百、二百と近付くにつれ、2人のペースは徐々に上がって来ましたが
その差はほとんどなく、ほぼ並んで走っていました。
百を切ったあたりから、2人はゴール目がけて猛ダッシュ。
丸で短距離走のようなすごいレースでした。
ゴール前に10キロ近く走っているのだから、それは苦しいはずです。
ゴール手前数十メートルのところで 「ああ、もう駄目だ」と思った時、
ふと、死んだおじいさんが現れて「太郎、 頑張れ!」と声を掛けてくれたのでした。
その途端、にわかに元気が出てきて、私は一気にゴールまで駆け抜け、
トップでゴールイン、2年連続で優勝することができたのでした。
あの優勝は間違いなくおじいさんのおかげです。 
「生きている」ということは自由なようですが、実は「時間と空間」という束縛を受けています。 
人からなぐさめや、励ましを求められたとしても、
その瞬間、その場所に、いつでもどこでも動けるわけではありません。
ところが死んでしまえば「時 間と空間の束縛」から解除されるので、
‘要請’さえあれば、いつでもどこでもその人を励ましたり、勇気づけに行ったりできるのです。
僕もあのとき、無意識の中で祖父の励ましを‘要請’していたのでしょう。 
あれから30年たって、先日法事を行いましたが、
「なるほど、死なないと できないこともあるのだな」と感じたのです。
人は死んでも、人のためになれるのです。しかし、問題は死んでも‘要請’がなかった場合です。
せっかく他界して「時間と空間の束縛」から解除されて、
いつでもどこでも動けるようになったにもかかわらず、
誰からも声が掛らなかったら(要請がなかったら)こんな寂しいし、そしてヒマなことはないでしょう。
悲しい人生です。(人生と言っても、終わっているのですけどね)
結論は、「死んだ後でも困った人から声が掛けられるような生き方を、
生きている、今のうちからしておかなければならない」ということなのでしょうかね。こりゃ大変だ。
老後の心配どころか、死後の心配までして、生きなければいけないなんて。
それにしても、「生き生きとした、死後の世界」とは、いったい何のことだろう。
石川酒造㈱メルマガ毎月1日に太郎日記が投稿されます。
いつもいいお話です。今回はお盆の入りでもありぴったりのお話なので
太郎さんにクラブのブログに載せてもいいですかとお願いしました。
快く「OK!」を頂きました。そしてなんと「今日、祖父の命日なんです」と…。
当クラブ初代会長であるおじいちゃま…要請にすぐ答えてくれるグレイトグランパでした。
そちらの世界で見守って下さいね。お願いします!!

0 件のコメント: